新撰組隊士の死亡順とその最期
幕末の京都を震撼させた新撰組の主要隊士たちが死亡した順番を、史実に基づいて解説します。激動の時代を駆け抜けた剣士たちの最後の瞬間をご紹介します。
1. 山南敬助(1865年3月20日)
新撰組初の脱走者として知られる山南は、近藤勇の命を受けた沖田総司によって切腹を命じられました。肺病を患っていたとも伝えられています。
2. 沖田総司(1868年7月19日)
新撰組随一の剣豪ながら結核に倒れ、鳥羽伏見の戦い後に江戸で療養生活を送り、明治維新を目前に病死しました。
3. 近藤勇(1868年5月17日)
甲陽鎮撫隊として戦った後、流山で新政府軍に投降。板橋刑場で斬首刑に処されました。享年33歳。
4. 土方歳三(1869年6月20日)
五稜郭の戦いで新政府軍との交戦中、銃弾を受けて戦死。最後まで武士としての誇りを貫いた「鬼の副長」の最期でした。
その他の主要隊士の死亡年
- 永倉新八:1915年(明治48年)
- 斎藤一:1915年(明治48年)
- 原田左之助:1868年(宇都宮城の戦い)
新撰組隊士の死因は戦死・処刑・病死と様々ですが、その多くが30代前半で命を落としています。幕末という時代の過酷さを物語る死亡順列と言えるでしょう。